あなたの理想の物件探しをお手伝い、スピード対応でサポート

お電話のお問い合わせ

あなたの理想の物件探しをお手伝い、スピード対応でサポート

お電話のお問い合わせ
会員登録済みのお客様
祐天寺の駅名は江戸時代創建の「祐天寺」が由来
blog articles
2019/09/10 -
お役立ち情報

#
祐天上人 . 祐天寺 .


 

三軒茶屋から目黒行きのバスに乗ると東急東横線「祐天寺」駅前を経由します。
この路線バスにわりと乗るので祐天寺駅には馴染みがありましたが、残念なことに祐天寺のいわれにふれる機会はないままでした。

 

調べてみると、祐天寺という地名が使われるようになったのは比較的新しく、1968年から。「祐天寺に住んでいます」という人がいたら、祐天寺のほか、五本木や鷹番、中目黒の一部に当たると思われます。

 

で、祐天寺とは? これは実存するお寺の名前です。
そんなわけで今回は駅名にもなっている江戸時代創建の古刹、祐天寺を訪れました。

 

祐天寺駅から徒歩約10分。
駒沢通り沿いにあるこのお寺の創建は1718年のこと。明治期に大火にあったものの小難にすみ、第二次世界大戦の空襲でも難をのがれたこのお寺の開基は増上寺第36代の祐天上人とその弟子である祐海です。

 

祐天上人は増上寺で勉学に励んだ後、本所牛島に隠棲し、名号を書写し、念仏を唱えながら暮らしていました。上人の書写した名号は功徳があると評判をよび、それを乞う人は江戸のみならず、全国に存在したようです。その後、祐天上人は徳川綱吉公の台命により下総の大厳寺の住職になり、家宣公の時代になると増上寺第36代法主に。

 

ある意味、出世街道を歩んだ祐天上人ですが、浄土宗の僧侶でありながら「呪術師」としての顔も持っていました。おそらくこの能力が将軍家から信頼を寄せられたのでしょう。江戸の怨霊を念仏の力で成仏させたという話も残っていますし。江戸時代には『祐天大僧正御伝記』が出版され、呪術師としての活躍ぶりが世に広まり、地蔵菩薩の化身とも言われたそう。つまりは念仏を駆使した江戸のゴーストバスター!

 

現代であれば、スピリチュアル業界から引く手あまたであろう、祐天上人は弟子の祐海に生前、念仏が行える場所を探すように伝え、1718年に他界します。そして祐海は善久院というお寺を購入し、師である祐天の意志を受け継ぎ、念仏寺の住職になりました。

 

この善久院こそが後の祐天寺。
お寺は8代将軍徳川吉宗の許可を得て、師の名前を冠し、祐天寺と称することになったそうです。

 
 

徳川家に深く関わったきた祐天寺

 

 

「明顕山」と書かれた山門をくぐると、のどかな景色が広がっています。
駒沢通りに面したこの門は国登録有形文化財。

 

祐天と祐海が将軍家の菩提寺である増上寺に務めていた背景もあり、このお寺は徳川家とゆかりが深いです。山門をまっすぐ進むと「仁王門」が配されていますが、これは5代将軍徳川綱吉及び8代将軍吉宗の養女である竹姫が寄進。1735年の建立で幾度か修理・改修されていますが、今日まで創建当初の姿をとどめている歴史ある門です。様式は江戸中期の寺院建築の性格が見られます。

 

仁王門を寄進した竹姫ですが、浄岸院(じょうがんいん)の名前でも知られています。歴史好きの方は将軍家から薩摩藩第5代藩主島津継豊に嫁いだ女性としてご存じでしょう。1729年に薩摩藩主島津継豊に入輿した彼女は将軍家を離れても徳川ゆかりの祐天寺を大切に思い、寄進したのではないでしょうか。この竹姫は将軍家と薩摩藩の橋渡しを積極的に行った後、他界しました。

 

境内の梵鐘は1738年より、6時と正午前につかれています。
鐘には徳川家の家紋であう「三葉葵」が見られます。「ああ、あの模様ね!」とすぐにわかった方は戦国武将もしくは水戸黄門ファンかも。三葉葵の御紋はテレビドラマ『水戸黄門』の格さんが取り出す印籠にデザインされているものです。竹姫が寄進した仁王門や阿弥陀堂なども含め、やはり徳川家がこのお寺に深く関わっていますね。

 

ちなみに、日本各地のお寺に梵鐘が配され、鐘がつかれる理由ですが、まず音を鳴らすことで時を知らせる役目と周囲に暮らす人たちの苦難をやわらげる目的があったそう。昔は時計がなかったものですから、何らかの方法で時を知らせる必要があたのです。その役割は個人では負担が大きいので(近所の家々に「正午ですよ!」と言って回るわけにもいかず…)その地域で権限を有していたお寺が鐘をついて時を告げることになったそうです。また、僧侶が俗世にとらわれてしまっている時、鐘を鳴らすことで自分自身を律する役割もあったとか。

 

江戸時代からこの鐘がこの土地に時を知らせてきたと思うと、長い歴史を思わずにいられません。境内では子どもたちが遊ぶ姿も見られます。昔は神社仏閣は子どもたちのかっこうの遊び場だったな…と、懐かしく思いました。

 
 

火消し組織に尽力した祐天上人

 

 

「木像祐天上人坐像」が安置されている本堂にお参りすると、賽銭箱には「纏(まとい)」 が配されていました。纏とは火消し組織の旗印。「め組」もそうですね。実はこのお寺は江戸時代に火消し衆の信仰を集めていました。というのも、祐天上人が火消し組織の形成に尽力したから。毎年4月には「防火防災フェア・イン・祐天寺」というイベントがこのお寺で開催され、江戸の火消文化を伝えています。

 

1898年に再建された本堂は山門同様、国登録有形文化財。再建の際は祐天上人の弟子だった祐海が境内に植えることを命じた杉の木が使われたそうです。

 

境内から道を挟んだところにある墓所には、祐天寺開基の祐天上人や大正天皇の生母である柳原愛子などが眠っています。江戸のゴーストバスターにして火消し組織作りに奔走した興味深い人物、祐天上人を開基とする祐天寺。また訪れたいお寺です。

 

祐天寺
東京都目黒区中目黒5丁目24ー53
http://www.yutenji.or.jp